父親は去年死に損なった。

 

なんだかんだ言いながら生きさらばえている父親は

それこそ

コロリと逝って大往生と言われた祖母の年齢に

達しようとしている。後期高齢者だ。

子供の頃よく、上に兄弟がいるのかと訊かれたもんだが、

父親の方が売れ残りだったらしい。

母親とは一回り歳が違う。

なんでわざわざそんなのと一緒になったんだかと

全く理解に苦しむ。何故なら、母親の話を聞く限り

何一ついいところがナイからだ。まず貧乏だったし。

昔から寡黙ではあったが、

老いがそうさせるのか更に言葉を発さなくなっているらしい。

ボケてるわけではないようだが、

頑固さが増してますます融通が利かないという

全くもって年寄りとしては迷惑な気性である。

去年、バイパス手術を受けた。

心筋梗塞なのだが、余程気付くのが早かったのか。

仮にそれで死んだとて、歳も歳だからで済まされたはずである。

いつも間の悪い父親は、休日に発症し、当番医から拠点病院に回され

そこで手術が出来ないからと、オヤンヂがかかっている

もう一つの拠点病院に移送され、

こんな高齢で大手術に耐えるのだから、

ある意味相当運が強いのか。

細く長くしぶとく生きるタイプなのかもしれない。

冒頭の「なんだかんだ言いながら」は、ここにかかってくる。

母親がうんざりしながら話すのだ。

脳梗塞で何回救急車に乗ったか、とか、だいたい休日にやらかす、とか

あそこを手術した、あそこもした等、まあ不健康エピソードが尽きない。

私の中にすら、

父親が健康でバリバリ働いてたようなイメージは浮かばないのだった。

肉体労働者だったのに(--〆)だから貧乏だったんだわ。

そもそも私が物心ついた頃には既にいい歳だったはずである。

快活と言う言葉とは無縁だし、まして社交性が皆無なのだ。

老いれば多少図々しくなって人と話す機会も増えるかと思いきや

閉じてく一方だ。

かと言って、「終活」を何かしているかと思えば全くそんな気がないらしく

もうこの先使うことがないのがわかっている仕事道具やら何やらを

整理する気は一切無い。このジジイも片付けられないのだった。囧rz

身のほどをわきまえる事を知らない父親が、

つい最近バカみたいに遠い店まで勝手に一人で歩いて出掛けて

新品の手押し車を押してようやく帰ってきたと思ったら、なんと

帰り道で骨折して来やがったというのである。歩けなくなっていたのだそうだ。

全く愚かな父親である。

母親に何も告げず、勝手に出て行ってそのザマだ。

手押し車を買いに行って歩けなくなってたら世話ないよなほんと。囧rz

言ってみればパチンコ行って金捨てて来るのと同じだ。

手押し車は物置にブチ込まれた。

今、父親は入院している。バチ当たりめがっ。

自分を過信し過ぎてるのだ。

春先に、父親が移動手段に使っていた自転車を、適当な事を言って実は取り上げたんだが、あまりにもヨタついてて危ないから、やめさせるためだった。

自転車があれば絶対、乗るからだ。目の前から消すしかない。

それがずっと、面白くなかったらしいのだ。

本人の頭の中には、三輪車があったらしい。それなら乗れると思って買うつもりだったようだ。無茶だろが。囧rz

このまま寝たきりにでもなってしまったら、それこそ目も当てられない。

頼むからムダな物に金使わないで欲しいもんだ。

何しろ国民年金しかないのだ。紙オムツ代もバカにならんだろうに。

風呂の無い家に住んでるし(←私の銭湯歴25年たる所以。選んでそうしてるのだろうからそこはもうかまわない事にしている)。

歩いて風呂屋に通うのは困難との判断からデイサービスを利用してたのだが、

それだってタダではない。他所の人が週3ぐらい利用するものを週1しか行かないし、

本人も、知らない人間の集まるところに行きたがらない。

正直言って、入院状態が一番安心できる環境だったりする。

情けない。

先の事を考えると明るい物が見えないし、ない。

この度の母の日には珍しく、

今父親が居ないのをいいことに、

小さな椅子を贈ってやった。バカジジイの介護の労を労ったつもりだ。

さて

父の日にはどうしたものか…囧rz